茶筅髷
安土桃山時代の若者に流行した髷。
毛先が茶道に用いる茶筅に似ることからこの名前がある。
青少年に行われる髷なので前髪は残して、月代は剃らないか極狭く、後頭部の髪を取って平打紐などで巻き立てて毛先を散らす。
時代が新しくなると月代も広くとるようになるが、これで前髪を落としたのがいわゆる「バカ殿」の髪型といえば分かりやすいだろう。
コントの鬘なので巻き立てはかなり誇張されているものの、実際に身分をわきまえない派手好きの若殿などに結うものがいたらしい。
ここまで言うと思い出されるのが、「尾張の大うつけ」こと織田吉法師である。
彼の異様な風体には豹皮の半袴や、猿回しのような縄の帯などに加えて、萌黄の平打紐で高々と巻きたてた茶筅髷が数えられている。
信長のように異様な姿をして遊びまわる若者達は自らを「傾き者」と称して、衣装や振る舞いの奇抜さを競った。
派手な髪型もその一つであったが、江戸幕府が開かれて世の中が安定期を迎えるにつれ「傾き者」たちも、彼らの奇抜な衣装や髪型も廃れていった。
毛先が茶道に用いる茶筅に似ることからこの名前がある。
青少年に行われる髷なので前髪は残して、月代は剃らないか極狭く、後頭部の髪を取って平打紐などで巻き立てて毛先を散らす。
時代が新しくなると月代も広くとるようになるが、これで前髪を落としたのがいわゆる「バカ殿」の髪型といえば分かりやすいだろう。
コントの鬘なので巻き立てはかなり誇張されているものの、実際に身分をわきまえない派手好きの若殿などに結うものがいたらしい。
ここまで言うと思い出されるのが、「尾張の大うつけ」こと織田吉法師である。
彼の異様な風体には豹皮の半袴や、猿回しのような縄の帯などに加えて、萌黄の平打紐で高々と巻きたてた茶筅髷が数えられている。
信長のように異様な姿をして遊びまわる若者達は自らを「傾き者」と称して、衣装や振る舞いの奇抜さを競った。
派手な髪型もその一つであったが、江戸幕府が開かれて世の中が安定期を迎えるにつれ「傾き者」たちも、彼らの奇抜な衣装や髪型も廃れていった。
update:2010年03月20日
